マレーシアへの海外移住を決めてから約半年ほど経過した、2019年夏。
いよいよ本格的に仕事探しをする時期となった。
マレーシアで仕事を探すとはいえ、日本人でかつ英語が苦手となれば自ずと求人の幅は狭まる。
当時も現在も英語のレベル問わず日本人の募集が多いのは、やはり首都クアラルンプールである。
求人を探すにあたり日本人向けのマレーシア転職求人サイトを利用した。
そのサイト内で給与、求められる英語力、仕事内容などから絞り、まずはエージェントに連絡。
担当のエージェントから連絡がきたら、具体的な求人内容やエージェントのおすすめの求人先、また、Tosuが実際に興味のある会社が日本人を募集しているかなどの様子も教えてくれた。
どのような会社に応募するにしても基本的に用意すべきものは共通しているようだった。
こちらが興味ある会社を伝えると、タイミングよく積極的に採用中の時期であることが分かりまずは希望通り応募をすることに決めた。
英語の履歴書を用意するのは必須だ。
それに面接に挑む会社側からの要求で英語力テストも受けた。
面接日が決まるまで、こちらから会社と直接連絡を取り合うことはなく全てマレーシア転職求人サイトの担当の方にお任せする形となった。
後日、面接の日時が伝えられ、英語でオンライン上で行われることも伝えられた。
人生初の英語での面接。
どんなことを聞かれるのかネットで調べてみても謎は深まるばかり…。
果たしてどうなるのか、受けるTosuはもちろんのこと私自身も緊張してしまっていた。
面接当日:
緊張の中、面接担当者からの電話を待つTosuを傍らから見守った。
事前に時間も決められていたのでほぼ時間通りに面接が始まった。
終わるまで15分もあっただろうか…?
特にかしこまった雰囲気はなく初めに簡単なあいさつ、自己紹介と海外で働くのは初めてかなど簡単な質問をされていたようだ。
英語が全く話せないTosuが英語面接に挑戦するなんて本人も今までの人生で思いもしなかっただろう。
きっと何を聞かれているのかも理解できていなかったようだが、「Yes」「Ok」でなんとか?その場をしのいでいた。
簡単な質問を終えると、面接の担当者からは会社や仕事内容についての説明を受けたようだ。
また、採用となった際はシフト制であること仕事内容的に不快なコンテンツを見る機会もあるがそのような環境下でも問題ないかなどメンタル面のことも含めて確認されていた。
最後はこちら側から会社や仕事内容について質問があるか聞かれた程度で、想像よりもあっさりと終了した。
※あくまでも当時の面接内容であり、各会社によって内容も英語力テストなども異なります。
面接結果はエージェントを通して伝えられることになっており、合否が分かるまでTosuと私はソワソワとした日々を送った。
面接後から2週間ほど、それともそれ以上待っただろうか…?
※結果を受け取れない日々が続き、途中こちらからマレーシア転職サイトの担当者の方に合否などが届いているか確認もしました。
運命の結果発表の日:
ようやく担当のエージェントから採用されましたとのメールが届いた!
まさか受かるとは思っていなかったため(結果がなかなか来なかったため、合否を待つ間にもう一社面接を受けた)、その結果を受け取ったときは本当に嬉しくて喜び合ったことを今でも覚えている。
マレーシアに移住すると早々と決めていたものの、友人知人が住んでいるわけでも会社を紹介してくれるツテもなかった中での決断である。
どんなに移住したくても仕事が見つからなければ行くことすら出来ない。
当時Tosuが勤めていた会社にもマレーシアでの採用が決まる前から2019年の年末で退職することを伝えていたこともあり、なんとか採用してもらえることを願うばかりだったのだ。
初めての英語の面接(英語が苦手)で採用を貰えたのは本当にラッキー以外なにものでもなかった。
採用後、日本語と英語それぞれのタイピング入力速度(合格ラインが決められている)を測るように指示された。
これが意外と苦戦していたようだ。
採用が決まると仕事開始日の調整や渡航前に日本で用意すべきリスト、また会社や会社付近のコンドミニアム(住まい)の紹介などを収めたPDFを受け取ることができた。
いざマレーシアに向かう際は片道の航空券、約1週間のホテル滞在費、空港からホテルまでの送迎も会社負担で準備されることも伝えられた。
仕事開始日に関しては採用が決まった1か月後辺りを打診されていた記憶がある。
しかしながらTosuは勤務先の会社に年末に辞めるという事を伝えていたことから1か月後に行くことは不可能だった。
結局、マレーシアへ飛び立つ日までに2回から3回ほど仕事開始日を調整していただいた。
11月末ごろ、マレーシア転職サイトの担当者の方からこれ以上時期を調整するのは難しいと報告を受けた。
これ以上延長となると採用も無効になる可能性も伝えられた。
これ以上待ってもらうことも出来ないことはひしひしと伝わった。
ここからTosuは上司に事情を説明し(ここで初めて海外に行くことを伝えたようだ)、なんとか余っている有給を予定していた日程よりも早めに消化させてもらうことで、12月の最初の週でマレーシア入りする目途を立てたのだ。
あまりにも急な渡航となる関係で、私と息子は一緒にマレーシアへ向かうことは出来なかった。
あくまでも面接を受けて採用をされたTosuへの就労ビザが発行されただけで、私と息子の家族ビザはTosuが現地で住まいを整えてから情報を集める必要があったのだ。
いつ家族ビザがもらえるのか、そもそも家族ビザは発行してもらえるのか?
それすらも分からなかったが、Tosuが採用されたことでマレーシアへの家族移住に向けての大きな一歩となった。
そして2019年12月、最後の出勤日を迎えた2日後にTosuは一人、大きなスーツケースを片手に真冬の日本から常夏のマレーシアへ飛び立ったのだ。
…
すでにお伝えしている通り、Tosuは英語が大の苦手で海外にも全く興味なし。
このマレーシア移住まで海外旅行に一度も行ったことのないTosuが単身でマレーシアへ向かった勇気は本当に尊敬しています。
人生何が起こるか分からないものですよね。
次回の記事では私が現地採用されたまでのことを綴ろうと思っています。
お楽しみに♬
2024,3,10
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